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〜朝日新聞 Beより〜
1975年アルバムの中の一曲として、その歌はひっそり生まれた。
※池上線が走る町に あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も 帰る私なの・・・
切ないフレーズがいまでも心の片隅にひっそりと眠っている。池上線というのは東京23区の南部、五反田〜蒲田間10.9キロの住宅街を走る3両編成のワンマンカーである。異常に短い15駅の間隔は、ローカル線の匂いをまきちらしながら青春の思い出をかきたてる。歌い手は西島三重子さん、そして作曲は佐藤順英さん。御年55歳、東京をひきはらい地元山形でベンチャー企業のオフィスを構えている。発売以来、現在までに80万枚を数え、いわゆるフォーク界での超ロングヒットといえるかも・・・。この間「どこの駅?」「純愛?不倫?」などとネットで論議が繰りかえされたが、その解答は明かされないまま、30数年の時だけが過ぎた。
昨年12月16日、五反田を出発する池上線の最後尾車両に「池上線」を歌う西島さんの姿があった。東急電鉄の「池上線開通80周年」の記念コンサートだった。
♪話す言葉をさがしながら、すきま風に震えて いくつ駅をすぎたのか・・・♪
古い車体で速度があがるとドアの上のほうから、すきま風がふきこんでくるそうだ。「彼女の長い黒髪がすきま風に揺れた」というのが、佐藤順英さんの忘れられない光景だった。そう、池上線の歌詞は実話だったのだ。当時、学生だった佐藤さんは、他大学の1年生だった彼女と交際していた。その年、国連職員を目指していた佐藤さんはハワイ大学へ留学、必然的に文通だけの遠距離恋愛となる。そして翌年「私だけ待ってることに疲れたの」という手紙を受け取る。あわてて帰国して説得したが、ふたりは元には戻らなかった。佐藤さんは、結局ハワイ大学には戻らず学資を出していた親からも勘当された・・・。自分の思いをどうしても伝えたいと歌を書いた。そしてこの恋の顛末は彼の思い描いた将来さえも大きく変えてしまった。夢を捨て彼は音楽の道を歩いていくことになり「池上線」がヒットした後の27歳のとき、彼女を食事に誘った。LPとシングルを渡そうとしたが、彼女は「持ってる」といい、就職したメーカーの社員と結婚すると告げらた。それが最後の出会いでそれ以降、今はどこで何をしてるかまったくわからないらしい。取材した朝日新聞の記者はどうしても彼女に会ってみたくなり、当時彼女が住んでいた池上線池上本門寺の駅前を一時間も歩き回り、彼女の家を見つける。留守だった・・。経緯をかいて取材の申し込みの手紙を投函するが、返事ももらえず時間だけが過ぎて行った。半ば諦めかけていた桜の散り始めた頃、偶然彼女の現在を知る友人に出会った。電話連絡が取れることになりダイヤルをまわした。戸惑いあきれながら彼女口を開いてくれ、27歳の報告の通り会社の同僚と結婚して、2人の子供もすでに成人していて「ふつうすぎるほど、ふつうに暮らしています」と・・・。「曲のモデルのことは主人は知っていますが、ごく親しい人にしか話してません。子供にはどうだったかなぁ。80周年コンサートの情報を目にして『どうしてるらっしゃるのかなぁ』と思ってました。あの方もご結婚されてますよね?
当時の池上線を走った車両は、今も十和田湖観光電鉄で走ってる。
「(彼女が社内結婚すると聞いた日から)あのメーカーの製品は、ずっと今も使ってないよ」。独身を通している佐藤さんが、別れ際に冗談めかしてつぶやいた言葉が、いまも頭から離れない・・・。
十年は長い月日か 短い日々か
ただ思い出だけが 咲いている
切なく、なぜか温かい恋のお話でした。「池上線」機会があれば、ぜひ聴いてもらいたい一曲です。忘れ去った何かを思い出させてくれるはずです・・・。
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