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ご冥福をお祈りいたします

 投稿者:ひろりん  投稿日:2013年11月11日(月)14時14分22秒
返信・引用
  久しぶりにこちらを訪れて、てつさんの訃報を目にし、大変驚いております。

私が「スキルス胃癌サポート」のブログを立ち上げたばかりの2006年の頃でしたでしょうか・・
コメントを頂いたり、メールを頂いたりしましたね。
既に奥さまを亡くされた後でしたけど、
奥さまを奪った病気と真摯に向き合っておられましたよね。
KAZEさんは、あの頃の共通の友人でした。

私の活動も、12年目に入りました。
相変わらず、てつさんの大切な奥さまを奪った病気と今も向き合う日々です。
多忙さは増すばかり。。。
まだまだ手強い相手ですが、てつさんの分まで今しばらく、もがこうかと思っております。

ご冥福を心よりお祈り致します。
 
 

てっちゃん・・・

 投稿者:たかはしれお  投稿日:2013年 8月29日(木)22時21分44秒
返信・引用
  きょう、大変遅ればせながらここにて知り、驚きとショックです。
ここ最近はFacebookで連絡をとっていたのですが、年をあけてから連絡が取れず、心配しておりました。Facebookで2月20日にtestというメールが来たので、とりあえずメールは開けてくれてるのかと思ったりもしたのですが・・・・・・

申し遅れましたが、わたしは武藤さんとは仕事で知り合いました。1997年頃だったでしょうか。
新製品の販促資料のデザインをお願いし、外注先のV社よりいらっしゃいました。そのときに、たまたま、西武ライオンズファンであることを話したら意気投合し、ライオンズの資料やグッズを送ってくださって、それ以来、メールで楽しいおしゃべりを続けました。先輩ではありますが、メールではてっちゃんと呼ばせていただいてました。
ライオンズファンの集う掲示板も教えていただき、そこでのファン同士のバトルはあのときは腹もたったけど、てっちゃんとは、「○○さんの考えはおかしいよねー!」なんて共感しあってたんですよね。今思えば楽しかったなあ。

いつしか、しーちゃんの具合が悪くなり、それからは本当に苦悩の日であったと思います。病院での検査結果から始まり、色んなメールを交わしました。
しーちゃんが亡くなってからも、てっちゃんはずっと苦しみ、時間が悲しみを風化はさせることはありませんでした。しーちゃんはかけがえの無い、素敵な方だったのでしょう。私には何も励ますこともできませんでした。会社を退職され、そして、伊豆に移り、ようやく穏やかな日々を過ごせうのかしらと思ったら、大動脈乖離。


たくさんのメールを交わし、ただのメル友にしては、てっちゃんのこれまでのあゆみや考えを、かなり知っているほうではないかと思います。
私がくじけたとき、つらかったとき、本当に優しく励ましてくれる、思いやりの深い人でした。
私のような青二才に、あきれつつ、おつきあいしてくださった方でした。
感謝してます。

Change the world の頃のクラプトン似のてっちゃん。この曲もクラプトンの生き方もとても好きで、なんだか被るなあ。
もっといっぱい話せばよかったなあ・・。

てっちゃん、これまで本当にありがとうございました。
自分は何もない人間だけど、地に足しっかりつけて生きていくから。見ていてくださいね。

心よりご冥福をお祈りいたします。合掌。
 

てつさんのご冥福を心よりお祈りします

 投稿者:樹里亜  投稿日:2013年 3月30日(土)20時26分1秒
返信・引用
  久しぶりにこちらに伺い てつさんの訃報に驚愕しています。

老親3人の遠距離介護でPC開ける暇がなく 半年前に私も肺に遠隔転移して介護や通院慌ただしく過ごしていました。

息子さん
お知らせありがとうございます!
てつさん
奥さまやペットに囲まれて天国で安らかにお過ごし下さいね!
私もそのうち逝きます!

樹里亜
 

ご報告

 投稿者:管理人(てつ)の息子  投稿日:2013年 2月27日(水)02時57分25秒
返信・引用
  当サイトをご覧の皆様へ

管理人(てつ)の息子です。
父に代わり、皆様へのご報告となります。

2013年2月19日(火)、父は逝去いたしました。

昨年末から体調を崩し正月明けに病院で検診を受けたところ、
過去の大動脈乖離の患部に起因する症状であることが判明、緊急入院しました。

2月前半に手術を受け患部の治療は成功したものの、
既にボロボロになっていた身体が耐え切れなかったのか、
数日後に体調が急変し、再度緊急手術を実施。

しかし2度目の手術後は意識を取り戻すことなく、
我々家族に看取られながら静かに息を引き取りました。

その後、故人の希望により直葬という形にて葬儀を執り行い、
ごく一部の親族に見守られる中、父の魂は青く澄んだ空へと昇っていきました。

今ごろは先に旅立った母や祖父母、たくさんのペットたちと一緒に
のんびりと過ごしていることでしょう。


最後に、当サイトを通して皆様と交流できたことを父はとても感謝しておりました。
本人に代わりまして、この場を借りて私より厚く御礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。


2013年2月27日 管理人 息子より
 

手術

 投稿者:てつ  投稿日:2012年11月19日(月)19時56分31秒
返信・引用
  久し振りのカキコです。9月下旬の緊急搬送から2週間の入院で、「手術しましょう!」に変わった。今までは「場所が難しい・・・」とかで手術はできない から「しない」と担当医と話し合って、寿命に従って粛々と生きる覚悟をしてたのに、いきなり来月までに、64歳中に大動脈解離の原発部のハイブリッド手術とやらを1000万以上かけてやるそうな・・・・。下半身マヒや脳麻痺のリスクもあるが、動脈破裂の危険は無くなると言うという。確かに、退院後、胸が痛い。冷気吸うだけで胸や肩甲骨あたりが痛む。ただQOLの立場からいうと、今の右足の痛みや腕の痺れ、倦怠感などの解離による右腎臓破壊の後遺症と思われる諸症状は変わらないという。痛い思いして、辛いリハビリして、体力をまた亡くして・・・、それが幸せな事?生きれば生きるほど負の遺産が嵩んでいくだけの人生に生きる価値を見出すのが難しいような・・・・。どうしよう・・・・。同じような経験のかたいませんか~?

http://8007.teacup.com/musan/bbs

 

ようこそ★さん↓

 投稿者:てつ  投稿日:2012年 6月15日(金)08時19分25秒
返信・引用
  はじめまして。ごらんきありがとうございます。温かいお言葉感謝です。この掲示板も、5~6年前の「KAZEさん・樹里亜さん・・・」などが書き込まれてた頃は、本当にご本人・ご家族の苦しみが吐露されていて、」ある意味盛況でした。そういう状況から、閑古鳥が鳴く掲示板に変われれば、憎い癌にも少しは報いることができるかと・・・10年が経ちました。最近は、ブログやツイッター・フェイスグックにシフトしてしまい掲示板の更新もままなちません。お詫びします。先日も、妻の古い楽譜帳を目にし、夢で久しぶりに泣きました。夢だとわかってるのに涙がとまりませんでした。医療は変わったでしょうか何でも手術の状況は変わったのでしょうか?この掲示板に訪れる人が減ったことは、良いことと捉えることにします。まだお若い人生、悔いはつきものですが、悔いるのも人間だからこそ、素晴らしい人生を謳歌してください。応援してます。  

はじめまして。

 投稿者:  投稿日:2012年 6月14日(木)10時44分38秒
返信・引用
  涙を流しながらこの記事を
読ませていただきました。
私はまだ21歳で結婚をした事は
ないのですが、
旦那さんの愛情にとても
心をうたれました。
生きるというのは時間の長さではないと
改めて思いました。
 

テスト

 投稿者:てつメール  投稿日:2011年 7月13日(水)10時22分31秒
返信・引用
   

Sachiさんへ

 投稿者:てつメール  投稿日:2011年 2月16日(水)17時57分42秒
返信・引用
  お久しぶりです。お元気そうでなによりです。ペットといえども家族ですもんね。うちも13年飼っていたミニダックスとキャバリアのハーフの子が亡くなりました。天に昇っていく煙を見送るのは辛いですね。今は、11歳のアメリカンカールのニャンコがボケが入ってきてしまったようで、そこらじゅうに排泄してしまい食事も「ばあさん、飯はまだかいや?」状態で大変です。医者へみせるお金もないので、なんとか介護しながら看取れればと思いますが、体調が悪い時などは、つい「安楽死」を考えてしまう自分に愕然とします。老いは、ボケや痴呆だけではなく、いいこともありますよね。お仕事頑張ってください。

http://8007.teacup.com/musan/bbs

 

訃報

 投稿者:てつメール  投稿日:2011年 2月16日(水)17時46分52秒
返信・引用
  2月15日18時25分、シュガーさんが天国に旅立たれました・・・とご主人からメールをいただきました。一度しかお会いしたことなかったのですが、障害にも関わらず、とても明るく元気な方でした・・・というのが今でも思い出されます。まだまだやり残したこと、山ほどあったでしょうが、これからはゆっくりおやすみください。ご冥福をお祈り申し上げます。

http://8007.teacup.com/musan/bbs

 

お久しぶりです

 投稿者:sachi  投稿日:2011年 2月16日(水)16時01分58秒
返信・引用
  お元気でしたか?
私は毎日介護の仕事をしています。
訪問なので、いろんな方と会ってその方の暮らしの中で少しでもお役に立てればという思いでやっています。大変ですがやりがいがあります。

1月25日に15年飼っていた愛犬を亡くし、5日後8カ月前に拾ってきた猫ちゃんを亡くし
すっかり淋しくなってしまいました。
もう飼うのはやめようと思いつつ、ついよその犬たちに目がいってしまいますね…

物忘れ・・私もすごいものですよ。人名が出てこないんです。
でもね、昔の歌って覚えているものですねェ♪
若い時のことはメモリーされているんですね。
海馬を鍛えましょう!
 

(無題)

 投稿者:てつメール  投稿日:2011年 1月24日(月)19時24分23秒
返信・引用
  最近、とみに物忘れが激しい。「明日のジョー」のラストはどうだった?「巨人の星」の最後は?白戸三平の「カムイ伝」の最後は?みんな曖昧な記憶の底に沈んでしまった。ささいなことでも極力自力で思い出すことで、海馬を活性化させておかないと・・・。

http://8007.teacup.com/musan/bbs

 

こんにちは

 投稿者:ルイ  投稿日:2010年 3月20日(土)20時41分21秒
返信・引用
  てつさん、blogへのコメントありがとうございました。
闘病記拝見しました。憎っくき癌! まだ4歳の頃、実の父を胃がんで亡くし、今現在義父が肺癌に襲われています。なんだか他人事とは思えず読ませていただきました。
 環境の良い伊豆でわんにゃん達の写真、穏やかそうな空気を感じました。

http://blog.goo.ne.jp/cookiewanwan8686

 

(無題)

 投稿者:てつメール  投稿日:2010年 2月28日(日)17時00分31秒
返信・引用
  test

http://8007.teacup.com/musan/bbs

 

聞いてください

 投稿者:タビーメール  投稿日:2009年12月25日(金)09時59分27秒
返信・引用
  私は両親を癌で亡くしました。それと関係ないことなのですが聞いてください。
民主党ってどうなんでしょう?
子供手当て、外国人にも無制限に出すそうです。しかも本国にいる子供にまで・・・。本当かどうか確認のしようがないから不正受給し放題、これ目当ての不法入国激増。私の旦那の税金そんな事に使っておいて過去最大の国債発行なんて・・・ホント詐欺です。
何故マスコミはその事隠すんでしょう?噂どおり民主に買収されてるの?日本滅亡しそう。
心配でいたたまれないので、皆さんに知って欲しいです。
 

hatakeさんへ

 投稿者:てつメール  投稿日:2009年12月 2日(水)20時59分16秒
返信・引用
  HPも拝見しました。あの辛さ、悔しさ、理不尽さへの怒り、開墾・・・・。何故?どうして?と繰り返す毎日でした。七七日も過ごされたことと思います。彼岸へ渡るには3年かかるよ・・・と青森でイタコさんに言われました。残された者は、ただ安らかな旅をいのるだけです。辛さに耐え、1年半貴方のそばで頑張った奥様に敬服するばかりです。その思い出が、きっとこれから生きていく糧となりのではないでしょうか、今はつらくても。
今年も、終わろうとしてますね。うちは、1月2日が命日なので、この季節はいつになってもキツいです。正月がくれば、あの日が蘇ります。それまでは、家族で御節をつつき笑いあってた「平和」な時が、プツンと断ち切られたようです。ちょっと一足先に逝かれてしまいましたが、必ずいつかまた逢える時がくるでしょう、そして土産話に花咲くその時まで何とか生きていきましょう。残された私たちが、忘れない限り必ず心のなかで一緒にいるはずですから・・・。何かあったら、いつでもこの掲示板にでもお越しください。私は、いつでもここにいますから・・・。
「過ぎた日に 目をそむけずに いつかまた 逢えるといいね Time goes bye」

http://8007.teacup.com/musan/bbs

 

奥様の闘病記拝見しました

 投稿者:hatake  投稿日:2009年12月 2日(水)14時06分41秒
返信・引用
  てつさん、
奥様の闘病記拝見しました。ご心痛お察しいたします。
てつさんの辛い思い出を呼び起こすような内容で申し訳ありません。

実は私も妻を、スキル胃がんで亡くしました。10月(2009年)のことです。
48歳でした。癌が見つかった時には、既に末期でしたが、幸いにも手術後1年半持ち堪えました。てつさんのご経験に比べれば、私は幸運だったと言えると思います。
それでも、後悔だらけです。
なぜ、妻が命を奪われるほどの病に罹らなければならなかったのかと。
他にも病気は沢山あるのに何故スキルス胃がんなんだと。考えても答えは出ません。
毎日苦しいです。

とりとめのない文章で申し訳ありません。

hatake

http://blog.goo.ne.jp/hatakesan-2009

 

(無題)

 投稿者:てつメール  投稿日:2009年 9月12日(土)18時50分10秒
返信・引用
  しばらく、書き込みしない間に春が過ぎ夏が来て、もう秋になっちゃった。伊豆へ来て、1年たったんだね。少しは慣れてきたけど、不便さは相変わらず・・・・。来週、ついに内視鏡検査受けることにしたよ。1年近く、消化器内科通っても、症状はあまり改善されないし体重も落ちる一方で、とうとう55Kgまで落ちちゃったよ。まあ、食事の量自体が少ないし、内容にも問題あるんだけどね(^_^;)  

大動脈解離再発

 投稿者:てつメール  投稿日:2009年 3月10日(火)19時14分8秒
返信・引用
  2月の末に、近くの市民病院に胃の内視鏡検査を受けようと思い行ったところ、解離をやってるので検査は、順天堂静岡病院でやってくれということで、レントゲンとCTのみやってもらいました。すぐ呼ばれ、腹部動脈瘤が49.85mmに肥大してるんで、大至急順天堂で精密検査するようにと救急車ではこばれてしまいした。検査の結果、動脈瘤は大丈夫だけど、以前の解離した部位が再発してる可能性も否定できないということで、結局、即入院するはめになってしまいました。CCUは若い研修医みたい先生ばかりで、消灯時間過ぎるると集まって馬鹿話で騒いでるし、煩くて眠れない状態。結局、錯乱?して「ここは、秘密結社の本部か?!」などと暴れてしまいました(^_^;)口の聞き方も横柄だし、医は仁術ということを再教育するとことから始めないと、あかんですわ、あの大学病院は。  

(無題)

 投稿者:Sachi  投稿日:2009年 1月16日(金)16時14分10秒
返信・引用
  本当に目が覚めても不思議な夢でした。
そう・・・・潜在意識なのでしょうね。
夢をみて数日後、財布を失くしまして(汗)
結局5日経って家の中から出てきたのですが、財布に父の写真を入れてあったので必死で探しまくり、警察にまで電話してしまいました。最近ボーとしてうっかりミスが多いので父からの忠告だったのでしょうか?
“うどんすき”いいですね~昼間は暖かですが、夕方になってくるとこちら三重でも冷え込んできます。
お互い風邪などひかぬよう気をつけましょう。
 

↓夢の話

 投稿者:てつメール  投稿日:2009年 1月16日(金)14時04分39秒
返信・引用
  sachiさん、お久しぶりです。今年は、年末年始以降も好天が続きますね。お元気のことと思います。不思議な夢を見ましたね!sachiさんの一度は行ってみたいという潜在意識が、お父様に通じたのでしょうか。確かに、ごつごつした岩肌、立ち上る白煙、白装束のお婆さん・・・、恐山そのものですね。お父様を想いながら、ご家族で「うどんスキ」など囲まれては(^_-)-☆旅の途中ですか・・・、早く天上界へたどりつけるようお仏壇に手をわせて、旅の無事を祈りましょう・・・。  

夢の話

 投稿者:Sachi  投稿日:2009年 1月15日(木)16時33分36秒
返信・引用
  初夢ではありませんが、今年になってみた夢です。
4歳上の姉と母とで恐山に出かけました。実際は行った事はありませんが昔テレビの映像で見た記憶はあります。
ごつごつした岩がたくさんあって所々白い煙が上がっていました。白い装束の首から何かをかけているおばあさんにお願いして、父を呼んでもらいました。
おばあさんの口調が変わり、「今ふところにうどんを入れているひとつやろうか?うまいぞ」と言うのです。生前父はうどんが好きでよく隣町まで行って手作りの麺を買っていました。姉と「本物だよ・・・・」と驚きました。
次に姉に会いたいというと「まだ旅の途中会えんよ」といわれたところで目が覚めました。
不思議な不思議な夢でした。
一度は訪れてみたい場所です。
 

謹賀新年

 投稿者:てつメール  投稿日:2009年 1月 1日(木)17時10分22秒
返信・引用
  今年もよろしくお願いいたします!  

大晦日

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年12月31日(水)18時28分55秒
返信・引用
  今年も、あと少しで終わりですね。激動の2008年だったような気がします。来年は、皆様にとって、佳いお年でありますよう・・・・。  

Re: お久しぶりです。

 投稿者:翔の希望  投稿日:2008年12月 7日(日)22時03分51秒
返信・引用
  > No.559[元記事へ]

Sachiさんへのお返事です。
>
>
Sachiさん、心に残るお言葉有難う御座います。
四十九日も終わり、心が落ち着くかと思ってましたが、まだまだ「てつ」さんの言われるような思い出の涙には変わってませんが、月日が楽しかった事を思い出させてくれるような、そんな未来を信じてます。

Sachiさんのお姉様のお言葉、きっと家内も病床で同じ事を願っていたと思います。
自分の事より、病院に通い詰めた私と息子の事ばかり心配してました。
この家内の想いに応えてやる事が、残された私の愛情だと信じてます。

Sachiさんも、3歳のお子さんの育児大変でしょう。家内が頑張っていた事を思い出します。きっとSachiさんも同じような生活なんだろうなと想像してしまいました。

希望の灯は誰の頭上にもあると信じてます。
Sachiさんの中にはもう希望の灯が灯っているのでしょう。
私は、てつさんの言葉通り、息子の前では遠慮せず泣きたい時に涙してます。そんな父親を毎日見ている息子は、きっと私の中に希望の灯を見つけてくれると信じてます。

Sachiさんや、てつさん年末の寒い時期になりましたが、ご自愛下さい。
 

↓お久しぶりです

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年12月 5日(金)18時07分49秒
返信・引用
  お元気なようで何よりです。3歳のお子さんは、もうかわいい盛りでしょうね!こちらは、なかなか新しい環境に慣れることができず、苦労してます。お姉様の言葉、深く心に残ります。  

お久しぶりです

 投稿者:Sachi  投稿日:2008年12月 4日(木)16時37分0秒
返信・引用
  “亡くなった故人と夢でも良いから本当に再会したければ、
故人へひたすら感謝の磁気を送る事です。
悲しみや心の辛さを送っては駄目です。 余計に再会が遅れ
ます。 大事な事は、故人に会いたいが為に自殺をしてしまう
と未来永劫に会えない可能性が有ります。”

ふとこんな言葉を目にし思わずここを訪れてしまいました。
私は、つらい時苦しい時必ず思い出す言葉があります。
スキルスで逝ってしまった姉の言葉・・・・
「私はこんなに辛く苦しいけどけして自分から命を絶たない。残された人のことを思えば・・・・」
姉の言葉を思い出しそっと手を合わせています。

翔の希望さんへ
44歳でかわいいお子さんを残し旅立つ奥様の心中を思うと悲しくなります。
私は42歳で子供を出産し今3歳でやんちゃ盛りです。
奥様もきっと見守っていてくれると思います。
健やかな成長をお祈りしています。
 

てつさん、有難う御座います

 投稿者:翔の希望メール  投稿日:2008年10月20日(月)23時16分35秒
返信・引用
  てつさん、当時の悲しい記憶を呼び戻したようですね。ゴメンナサイ。
今の私は、妻の為に何が出来るのかを探しているのだと思います。御仏壇も、妻が帰ってきて一休み出来る新居のつもりですし、将来私が人生を立ち止まった時に、妻との再会の場所にもしたいと考えてます。

妻と過ごした結婚生活と恋愛期間で24年です。あっという間でした。長いようで短かった時間。時間の感じ方は、その人生をどれだけ充実し、満足したかで決まるのでしょうか?だとしたら、家内は如何感じたのだろう?あっという間の結婚生活だったのだろうか?
今となっては判りませんが、病床にいる妻に向かって、「僕は君と結婚してよかった。なぜなら一番大好きな君と居られるから」と素直に言えました。
 妻の答えは「私もよ」でした。救われた気分です。決して良い夫ではなかった自分に、優しい言葉をかけてくれた妻に、心の底から感謝です。

てつさん、男って本当に不器用ですね!
将来、妻に再会した時、胸を張って有難うと言える人生をおくりたいと思います。

これからの相談に乗ってください。

直接お話しできれば素敵ですね!
 

てつさん、有難う御座います

 投稿者:翔の希望メール  投稿日:2008年10月20日(月)23時16分5秒
返信・引用
  てつさん、当時の悲しい記憶を呼び戻したようですね。ゴメンナサイ。
今の私は、妻の為に何が出来るのかを探しているのだと思います。御仏壇も、妻が帰ってきて一休み出来る新居のつもりですし、将来私が人生を立ち止まった時に、妻との再会の場所にもしたいと考えてます。

妻と過ごした結婚生活と恋愛期間で24年です。あっという間でした。長いようで短かった時間。時間の感じ方は、その人生をどれだけ充実し、満足したかで決まるのでしょうか?だとしたら、家内は如何感じたのだろう?あっという間の結婚生活だったのだろうか?
今となっては判りませんが、病床にいる妻に向かって、「僕は君と結婚してよかった。なぜなら一番大好きな君と居られるから」と素直に言えました。
 妻の答えは「私もよ」でした。救われた気分です。決して良い夫ではなかった自分に、優しい言葉をかけてくれた妻に、心の底から感謝です。

てつさん、男って本当に不器用ですね!
将来、妻に再会した時、胸を張って有難うと言える人生をおくりたいと思います。

これからの相談に乗ってください。

直接お話しできれば素敵ですね!
 

↓思い出を希望に変えるために!!

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年10月20日(月)18時44分17秒
返信・引用
  書き込みを拝読しながら、当時を思い出し涙を新たにしている次第です。四十九日が済むまでは気も張っており、なにかと忙しいことと思います。そしてぽっとできた暇な時間が、たとえようのない孤独と寂しさを募らせるかもしれません。愛する人を失った者が避けては通れない道のようです。お仏壇求められたんですね。きっとご主人が吟味を重ねて選ばれたお仏壇、奥さまも喜んでいることと思います。お墓や仏壇には魂はないのでしょうが、風の中を漂うように飛翔している御霊は、時にお墓に、時にお仏壇に、そして遺された人の心の中と、自由に駆けめぐってることでしょう。思い出の中から、一条の希望の光が、息子さんとお二人に上に輝くことを祈ってます。  

思い出を希望に変える為に!!

 投稿者:翔の希望  投稿日:2008年10月20日(月)14時28分35秒
返信・引用
  > No.554[元記事へ]

てつさんへのお返事です。

> てつさん、本当に今の私にとって心に沁みる言葉です。有り難う御座います。
息子に、涙の父親を焼き付けたくないと言う気持ちが先行してましたが、きっとてつさんの言うように、慟哭の父親を通じて、人を愛し慈しむ事・そして自分に素直になる事・大切なモノを見つける素晴らしさを感じてくれたら嬉しいですね。

20年の月日は、妻との楽しい思い出ばかりではありませんでした。時には不安になり・疑心暗鬼の心が表に出る事もあり、妻に対し決して優しい夫ではなかったと思います。でも、妻を亡くし、自分の気持ちに気付いた現在、これからは妻を更に愛し、思い出を息子と二人の今からの糧とし・礎として笑顔で語れるように頑張ります。

人は、支えあって生きてゆくもの。決して一人では生きられないと思います。これからは息子と二人、互いに支える者として、笑顔で過ごせるように、ママとの思い出を楽しかったモノに感じられるように、一日一日を精一杯生きてゆきます。

昨日、妻のお仏壇を決めてきました。
今からは、新たな日課が始まります。笑顔が絶えない明るい父子を実践したいと思います。また書き込みをさせて頂きますね!!
 

(無題)

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年10月18日(土)12時22分4秒
返信・引用
  はじめまして、翔の希望さん。てつです。心中お察しいたしますとしか申し上げようがありません。本当に、あっという間でしたね。人は誰も生まれ落ちた時から「死」への旅をはじめ、死とはいつも背中合わせということには気がつきませんね。自分の死ならともかく、最愛の伴侶を突然に失うことの悲しみ、真っ暗やみの奈落の底に突き落とされた、あの時の気持ちが蘇ります。通勤の車の中、家の風呂場、本当によく泣きました。その悲しみは8年たった今も心の中にあります。決して克服できるような悲しみではありません。ただ言えることは、悲しみの色は年月とともに変わってくるようです。氷の刃に突き刺されたような悲しみの涙も、時に温かい涙となって零れ落ちる日々もやってきます。今は、お辛いでしょうが、奥様を想って零れ落ちる涙は、流したいだけ流してあげてください。それが、逝く人、残されし者の心を少しずつ解いていってくれるのではないでしょうか?慟哭の涙を流す父の背中は、きっと息子さんの心の中にも何かを残すと思います。昨年、結婚した次男が式で「ママが逝ってしまったあと、今まで育ててくれてありがとう」と言ってくれました。どうか家族をを壊さないよう、心をひとつにして日々を過ごしていってください。いつでも書き込みお待ちしてます。最後に、奥さまのご冥福を心よりお祈り申し上げます。  

生と死 別れは突然やってくる

 投稿者:翔の希望  投稿日:2008年10月17日(金)09時34分54秒
返信・引用
  こんにちは てつさん
初めて投稿します。45歳の中年パパです。先日、最愛の家内をスキルス胃癌が原因の「癌性髄膜炎」で亡くしました。8月のお盆には家族3人で(5歳になる一人息子)家族旅行を行い、何処にでもいる平凡で幸せな生活でしたが、盆明けの病院で癌の疑いを宣告され、がんセンターに転院後、急激に悪化、既に全身に転移した状態でした。何の治療らしき事が出来ず、大きな腫瘍の摘出手術と言う痛い思いをさせただけで、9月28日に44歳と言う若さで永眠しました。残された私と息子は何が起こったのか理解できないままに、ただ呆然とした状態の日々です。てつさんはじめ、投稿されている方々も多くの悲しみを克服されていると思います。今後私はどの様に過ごすべきでしょうか?本当に辛く悲しい日々ですが、一人息子に涙の顔をもう見せたくありません。是非、教えてください。
 

テスト

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年 9月18日(木)20時50分46秒
返信・引用
  111  

クミコ・コンサート

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年 6月29日(日)11時04分13秒
返信・引用
  国際フォーラム行ってきました!年1度の逢う瀬ですが今回は、伊勢の正やんがゲストでたっぷりデュエットなども聴かせてもらい最高の夜でした。延々アンコールで、夜10時過ぎまでたっぷり。おかげで帰りは大変だったけれど。なんといっても、故・大塚博堂氏の「私はもう女です」が最高でした♪「めぐり逢い紡いで」や「哀しみ通せんぼ」なども是非カバーしてもらいたいものです。今回は、リクエストコーナーがあり、「わたしは青空」や「我が麗しき恋ものがたり」などは改めて涙腺が緩みました。また来年!!  

梅雨の晴れ間

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年 6月12日(木)16時55分56秒
返信・引用
  朝から降ってた激しい雨も、3時ごろにはあがり晴れ間がでてきました。雨に濡れた柏葉紫陽花がきれいです。こんなふうに人生もぱっと晴れ間が射す様な時がくるといいですね。
 

♪池上線♪のその後・・・

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年 4月22日(火)01時14分10秒
返信・引用
  ~朝日新聞 Beより~
1975年アルバムの中の一曲として、その歌はひっそり生まれた。
 ※池上線が走る町に  あなたは二度と来ないのね
  池上線に揺られながら
  今日も 帰る私なの・・・
切ないフレーズがいまでも心の片隅にひっそりと眠っている。池上線というのは東京23区の南部、五反田~蒲田間10.9キロの住宅街を走る3両編成のワンマンカーである。異常に短い15駅の間隔は、ローカル線の匂いをまきちらしながら青春の思い出をかきたてる。歌い手は西島三重子さん、そして作曲は佐藤順英さん。御年55歳、東京をひきはらい地元山形でベンチャー企業のオフィスを構えている。発売以来、現在までに80万枚を数え、いわゆるフォーク界での超ロングヒットといえるかも・・・。この間「どこの駅?」「純愛?不倫?」などとネットで論議が繰りかえされたが、その解答は明かされないまま、30数年の時だけが過ぎた。
昨年12月16日、五反田を出発する池上線の最後尾車両に「池上線」を歌う西島さんの姿があった。東急電鉄の「池上線開通80周年」の記念コンサートだった。
♪話す言葉をさがしながら、すきま風に震えて いくつ駅をすぎたのか・・・♪
古い車体で速度があがるとドアの上のほうから、すきま風がふきこんでくるそうだ。「彼女の長い黒髪がすきま風に揺れた」というのが、佐藤順英さんの忘れられない光景だった。そう、池上線の歌詞は実話だったのだ。当時、学生だった佐藤さんは、他大学の1年生だった彼女と交際していた。その年、国連職員を目指していた佐藤さんはハワイ大学へ留学、必然的に文通だけの遠距離恋愛となる。そして翌年「私だけ待ってることに疲れたの」という手紙を受け取る。あわてて帰国して説得したが、ふたりは元には戻らなかった。佐藤さんは、結局ハワイ大学には戻らず学資を出していた親からも勘当された・・・。自分の思いをどうしても伝えたいと歌を書いた。そしてこの恋の顛末は彼の思い描いた将来さえも大きく変えてしまった。夢を捨て彼は音楽の道を歩いていくことになり「池上線」がヒットした後の27歳のとき、彼女を食事に誘った。LPとシングルを渡そうとしたが、彼女は「持ってる」といい、就職したメーカーの社員と結婚すると告げらた。それが最後の出会いでそれ以降、今はどこで何をしてるかまったくわからないらしい。取材した朝日新聞の記者はどうしても彼女に会ってみたくなり、当時彼女が住んでいた池上線池上本門寺の駅前を一時間も歩き回り、彼女の家を見つける。留守だった・・。経緯をかいて取材の申し込みの手紙を投函するが、返事ももらえず時間だけが過ぎて行った。半ば諦めかけていた桜の散り始めた頃、偶然彼女の現在を知る友人に出会った。電話連絡が取れることになりダイヤルをまわした。戸惑いあきれながら彼女口を開いてくれ、27歳の報告の通り会社の同僚と結婚して、2人の子供もすでに成人していて「ふつうすぎるほど、ふつうに暮らしています」と・・・。「曲のモデルのことは主人は知っていますが、ごく親しい人にしか話してません。子供にはどうだったかなぁ。80周年コンサートの情報を目にして『どうしてるらっしゃるのかなぁ』と思ってました。あの方もご結婚されてますよね?
当時の池上線を走った車両は、今も十和田湖観光電鉄で走ってる。
「(彼女が社内結婚すると聞いた日から)あのメーカーの製品は、ずっと今も使ってないよ」。独身を通している佐藤さんが、別れ際に冗談めかしてつぶやいた言葉が、いまも頭から離れない・・・。

十年は長い月日か 短い日々か
ただ思い出だけが 咲いている

切なく、なぜか温かい恋のお話でした。「池上線」機会があれば、ぜひ聴いてもらいたい一曲です。忘れ去った何かを思い出させてくれるはずです・・・。
 

ムカムカすること

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年 4月 3日(木)23時06分40秒
返信・引用
  75歳になると、母屋である国民健康保険から脱退させられ、離れの高齢者医療保険に移され、年金から天引きで保険料を徴収するという。しかも2年毎の見直しで更なる税率アップ。追い討ちをかけるように、65歳以上の障害者もこの保険制度に移されるとは・・・。さも訳知り顔にいわく、「お金を払って高度な医療サービスを受けるか、お金を払わずサービスの質を落とすか、どっちがいいですか?」だと!!ふざけるな!といいたい。未払いの年金が数千万件にも及んでることを解決もせず、最弱者である高齢者から、有無をいわさずお金を召し上げる。治療に手間がかかる、認知症が多い、やがて死ぬから・・・、つまり75歳になったら「手間をかけずに、早く死んでくれ」ということではないのか!財政難を理由に、弱者からどんどん金を吸い上げる、もっと頭を使い、知恵を絞り、汗をかくのが政治ではないのでしょうか・一般企業では、コストダウンのため、1円を削ることに四苦八苦しているというのに、銀行があぶなくなると、ぽんと数千億を気前良く出資するこの国は、福祉をどう考えてるのでしょうか?愛国心教育などど、相変わらずねぼけたことばかり言っていますが、誰がこんな日本に愛国心をもてるでしょうか?一方で湯水のごとく税金の無駄使いを放置し、自分たちの無能をよそに、事あるごとに税金を課してきて解決しようとするだけの政治集団には、もうムカムカ、うんざりです!!!  

近況

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年 2月 9日(土)21時16分29秒
返信・引用
  夕方から降り始めた雪がしんしんと積もり始めてます。例年なら、車もスノータイヤを履いてるじきですが、今年は装着しませんでした。冷気は壊れた血管にはちょっときついですから。暖房費高騰の折、部屋もエアコンやストーブはたかずコタツに最弱でもぐりこんでます。でも、庭にあるワンコのテラス部屋だけはエアコンいれてます、可哀想だもんね。彼らにはこの8年間随分救われたから・・・。BGMで、キャロルキングの「つづれ織り」が静かに流れてます。Will You Love Me Tommorow?,I go't My Friend,It's Too,Late・・・。60年代から~70年代、日本中を吹き荒れた大学紛争の頃、よく聴いていた曲です。大崎善生の「タペストリー・ホワイト」のページをめくりながら・・・。人は、真っ白な雪のような布を心にまとい生まれてくるのでしょう。そして、やがて、燃えるな赤い糸、喜びの黄色い糸、苦悩の黒い糸、哀しみの灰色など様々な色に思いを込めながら人生のタペストリーを織っていく。そして織り上げた「つづれ織り」を胸に更なる世界へ飛びたっていく・・・それが人生、いつの頃か途中で心が折れ、編みかけた赤や青の糸を一本ずつ解きほぐし、やがて生まれたときのように真っ白なタペストリーになる人生、それも人生。私はどちらを織り上げてるのか・・・。願わくば、この掲示板を通り過ぎた方たちが、人生の素晴らしいタペストリーを完成させてくれるとことを願いつつ・・。  

↓ひろりんさん

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年 1月18日(金)22時12分1秒
返信・引用
  今年もよろしくお願いします。
年が明けてから、年末の掃除やら何やらの無理が祟ったか、あまり具合がよくなく更新もさぼりがちです(^_^;)今年は、還暦の本厄です、なんのこっちゃかとぼやきながら、13回忌目指して一歩づつ歩いていけたらと思ってます。寒い日が続きますが、お体ご自愛くださいね。
 

今年も宜しくお願い致します

 投稿者:ひろりん  投稿日:2008年 1月11日(金)13時47分4秒
返信・引用
  今頃、間が抜けていますすが・・・
明けましておめでとうございます。
お元気にされていますか?昨年は大変な年になってしまいましたものね。

何時の間にやら、私のブログの宣伝までして頂いて・・大変、恐縮でございます。
今年も元旦から飛ばしております^^;
患者さんにとって、体調には大晦日も元旦も無いという事がよくわかります。
今年もどうぞ、宜しくお願い致しますm(_ _)m
 

謹賀新年

 投稿者:てつメール  投稿日:2008年 1月 1日(火)09時42分24秒
返信・引用
  今年もよろしくお願い申し上げます  

無量光明(アミターバ)

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年12月31日(月)15時23分32秒
返信・引用
  2007年も時の彼方へ去ろうとしています。個人的には今年一年、波乱万丈?の年であったような気がします。「大殺界」の中、50代最後の年が始まりました。3月からは、パートの仕事も始め、順調に夏も過ぎ順風満帆のように思われましたが残業残業の毎日が、知らず知らず肉体を蝕んでいたようです。9月14日、千葉から大渋滞の中夜遅く帰り日付が変わってから心地よい疲れの中床に就きました。午前4時、まるで背中を丸太棒で叩かれたような激しい痛みで目覚め、やがてその激痛は胸から腹を駆け巡り、七転八倒の中、たまらず救急車を呼んでました。搬入先の病院がなかなか見つからず、約1時間後にやっと受け入れ先に運ばれましたが「急性大動脈解離」、思っても見ない病名でした。入院後2日間、生死の間を彷徨いました。その後は「闘病記2」の方に書いてあります。
世に言う不思議な体験もしました。
1gの物体が消える、そしてそれが熱エネルギーに変わったとすると、10の14乗ジュールの熱量が生まれるそうです。これは、23万4千トンの水が瞬時に沸騰するだけの熱量で、運動エネルギーに換算すると、富士山が17cmほど宙に持ち上がるそうです。アメリカでは、死後5g~10g減ったという例も報告されており、これは何十倍ものエネルギー量が発生するわけで、死んでから瞬間移動も可能になるわけで、量子という目に見えない世界であり、時間空間を移動することも可能とのことです。
実際に、入院した最初の2日間はベッドごとグルグルと凄いスピードで移動する体験をしました。天井には真っ赤な無数の蜘蛛が現れたりしましたが、意識が正常に戻ってからはなくなったようです。
人間は、過去の思い出を自分の都合の良いように並び替え、人生を作っており、その作業が曖昧になり脈絡が無くなってくる事が、別な見方をすると「煩悩から解放されてくる」そうです。完全に煩悩から解き放たれたとき、安らかな次の世界にいくのでしょう。そう考えると「死」のもつイメージもなにか優しいものに変わっていくような気がします。
生かされていることの意味を見つめ、来年も一日一日を歩いていきたいと思います。
よいお年を・・・・。
 

↓洋さん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年11月19日(月)19時15分46秒
返信・引用
  妹さんのご病状、さぞご心痛のこととお察しします。まだお若いから体力も十分あると思います。どうか、いい方向に向かっていくことを、心からお祈りしています。私のHP
は、どちらかというと後ろ向きのHPかと思います。知人で必死にスキルスと真正面から対峙しいるHPを載せておきます。もう既に開かれたかもしれませんが、YUTAKAさんのHPは、医学的にも大変勉強されていて参考になるかと思います。ひろりんさんは、患者さんやご家族をサポートするという立場で、頑張っていらっしゃいます。まだでしたら、是非一度訪れてみてください。
http://www13.ocn.ne.jp/~sukirusu/1137.html(YUTAKAさんのHP)

http://plaza.rakuten.co.jp/sukirususupport/(ひろりんさんのHP)

私の体調までお気づかい頂き恐縮です。足のほうは登り坂はまだきついですが、平地は、以前よりかなり歩けるようになりました。ただ、一日に何度か襲ってくる、胸、腹をかき回されるような鋭利な痛みは辛いです。これの酷い症状が、解離を発症したときの痛みとおなじなので、すわっ、再発か・・・と冷や汗ものです。でも発病してちょうど2ヶ月・・・、そう思えばこれからだなぁ・・・と言い聞かせています。
 

お加減はいかがですか

 投稿者:  投稿日:2007年11月19日(月)16時27分7秒
返信・引用
  このHPにたどり着いたのは妹(現在36歳)が
8/1にスキルス胃癌と解り、あらゆるサイトにアクセスして
なんとかいい治療法はないものかと思ったときに出会いました。
奥様の闘病日記を読みながら涙が止まりませんでした。
現在、妹は非常に厳しい状況におります。
なんとかどうにかしてと毎日願っております。

無理なさいませんようにお過ごしくださいね。
 

kazeさん 命日

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年11月17日(土)08時32分32秒
返信・引用
  秋空が澄み渡り、朝晩ぐっと冷え込んできました。今日は、あのKazeさんの命日ですね。昨年の17日、夕刻携帯に届いた「ふぅ~ちゃん」の文字・・・。娘さんから、「母が今日、亡くなりました。お知らせするように言われていたので・・・」を告げられ、頭が真っ白になったのが昨日のようです。あれから1年、彼岸の世界はいかがですか。きっと、この秋空の中を、どこまでも自由に飛び回ってることでしょうね。わたしは、体を壊し祈ることしかできません。どうか、幸せでありますよう・・・。  

↓メリーさんの執事さん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年11月 8日(木)16時43分43秒
返信・引用
  お久しぶりです。お元気でしたか?無事に式も済み、今日あたりから、どっと疲れが出たみたいです(^_^;)夫が妻を亡くした悲しみがあるように、子供には母を亡くしたという、また違った悲しみがあったことでしょうね。あの頃は、そんなことを思いやる余裕もありませんでした。式に母親の席も設け、「晴れの日の姿を見てもらえないのは残念だけど、これからも見守ってね」という手書きのメッセージが、それもあの子供の頃のままの下手な字で・・・。いきなり、なにも言えませんでした。母親の写真を持ってきたことだけで、もう十分だな・・・と、あえて挨拶では触れませんでした。たぶん話したら、泣いちゃったでしょうけど。その分明るい良い結婚式だったと思います。皆さん、あとは「お孫ちゃんだね」って言ってくれるのですが、なんか男親のせいか、いまいちピンとこないんですよね(^_^;)」でも、亡くなった親父のことを思い出すと、長男が生まれたとき、溺愛してたのを思い出します・・。「早くオヤジに追いつき、追い越せるよう頑張るよ」と私宛のメッセージカードがありましたが、私としては、式を見つめながら「完全に追い抜いていってなぁ」という感慨でいっぱいでした。
朝晩、急に寒くなってきました。どうぞご自愛ください。
 

おめでとうございます

 投稿者:メリーさんの執事  投稿日:2007年11月 6日(火)17時53分46秒
返信・引用
  ご無沙汰いたしました。法要や手続き等にいっぱい、いっぱいで心配しつつも読み逃げばかりでした。奥様の愛で帰ってこれたのですね。そして、この度はご子息のご結婚、
重ねておめでとうございます。奥様が出来なかった「お孫ちゃんを抱く事」・・・の大きな仕事があるのですから、頑張って下さいね。お体おいといくださいね。
 

想い

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年11月 6日(火)09時51分2秒
返信・引用
  今日は、次男の結婚式です。あいにくの雨ですが午後から回復を期待しながら・・・。ところで、本田美奈子.ちゃんの命日ですね。なんか複雑な想いです・・・。  

台風接近

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年10月27日(土)21時55分15秒
返信・引用
  かなり強い風と雨が終始吹き荒れていた。風邪気味と下痢で外へ出ることもままならず、せっかく蕾をつけた3本の皇帝ダリヤも、いまにも強風で折れそう・・・。無事持ちこたえてくれるだろうか。確か去年も1本台風でおれてしまったっけ。祈るだけ。
遠くのメル友の方たちから、お見舞いの手紙をたくさんいただく。好物のお饅頭や雑炊を送ってもらったり。「なにかできることあったら言って下さい」とか「必要なものがあればいってください」とか、ほんとにそのお気持ちだけで胸がいっぱいになります。やっぱり人はつながってるんですね、心はつながってるんですね・・・・。そうそう、昨日、今日とあの胸や背中、腰、腹がしくしくと痛むいやな気分はでてません。これが9月14日の自分だったんだなぁ。。。とあたらためて時間の流れを思います。人生なんて一瞬の光の射し具合で一挙に暗転しちまいます。でもその中で生きている人は心がつながっている限り、いつも傍にいてくれるんだと思っています。ありがとう・・・。
 

↓樹里亜さん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年10月24日(水)17時12分35秒
返信・引用
  励ましの言葉、ありがとうございます。何年か振りに闘病日記を書き始めました、今度は自分のね。加藤茶さんのその後が知りたいのですが、ブログもないようです。吉田拓郎氏は、最近また体調を崩してるようですね。あの拓郎は「怖い・・・」とつぶやいたそうです。これは、外から死を見つめているだけでは決してわからない恐怖感ですよね。5年も日々を重ねてきた樹里亜さんに頭が下がります。日薬・・・よくここを訪れた方々にかけた言葉です。自分が信じなくてどうすんじゃ!!と皆から怒られそうです(^_^;)今日は今までいつもの痛みも出なくて調子いいです。その分、頭痛がひどいので、そっちへ気が行ってるのかも。やっぱり病は気からですかね(^_^;)リバウンドは仕方ないとしても、決して身体にいいことはないので、多少アルコールと甘味をセーブしましょうね!ちなみに私は、ついに体脂肪9%台になってしまいました、まるでオリンピック・アスリート並みですね、数字だけは(^_^;)  

闘病記 2

 投稿者:樹里亜  投稿日:2007年10月24日(水)16時27分58秒
返信・引用
  てつさん こんにちは!
退院してもう2週間過ぎたんですね。
闘病記2 今 読ませていただきました。
想像以上の重態だったご様子・・・でも生還できて 本当に良かった!
きっと天国の奥様が 追い返してくれたのね(笑)
それに息子さん達の 呼びかけが励みになったようですね。
まだ辛い状況のようですが めげずに頑張って下さいませ!
こちらに来られる皆様が応援していますので・・・。

私も退院後は再発の不安や 思うようにならない体がはがゆく 鬱々としていましたが
時間薬がよく効いて 入院時8キロ痩せた体重も今ではリバウンドし過ぎ・・・(泣)
ダイエットに励む毎日です!トホホ!
 

象の背中

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年10月19日(金)23時17分22秒
返信・引用
  秋元康氏の「象の背中」読みました。冒頭から、鼻の奥のほうがツ~ンとしちゃって、涙、涙、最後のほうはもう嗚咽にちかい状態、とても喫茶店などでは読めませんでした。愛人がいたりして、女性には不評という説もわからないではありませんが、私には余りにも衝撃的というか、心の底をわしづかみにされた感じでした。フィクションだとわかっていても、人は自らの死を意識したときどうするだろう・・・という問いを、あなたならどうするというより、俺はこういう生き方、死に方しかできないんだという主人公の切々としたメッセージが心の芯から揺さぶります。死ぬことは怖くない、ただ忘れられることが怖い・・・。と言っていた彼が、ホスピスで長年不仲で音信不通だった長兄と抱き合い「俺、死ぬのが怖い」と泣く場面は切なかったです。たびん、今自分が、ずっと人の死を見てきたことから、現実に自分の死を感じてるから余計に思い入れがはげしいのでしょう。2日間、HCUで意識朦朧としたなかで、ここから先へ一歩踏み出すと永遠の彼方へいてしまう・・・と意識することが何度かありました。正直怖かったです。まだ言い残すことがたくさんある。そんな思いで必死で目を開けました。そして見えるのは真っ白な天井と、たくさんのチューブがつながった測定器。これで生命が維持されてるのかなあ・・・と朦朧とした意識の中で揺れてました。あとがきの児玉清さんとの対談の中で、児玉さんが37歳の娘さんを癌で亡くされたくだりを話されてたシーンは涙なくして読めませんでした。生きること、死ぬことを改めて感じさせられた一冊でした。もう一冊、重松清氏の「カシオペアの丘で」はまた別の機会に・・・。  

検診日

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年10月15日(月)19時50分33秒
返信・引用
  退院してから初めての診察日でした。造影剤をいれて心臓から下肢まで輪切りにするCTスキャンでした。大動脈のほうは特に大きな問題はないけどまだ寛解状態なので慎重に要観察といったところです。問題の下肢の瘤は大きさは変化してませんでしたが、血流がさらに細くなったようです。新しく血流をさらさらにする薬が追加されましたが、根本治療はやはり手術で人工血管にすることのようです。ただ、まだ胸のほうも安定してないので、」3~6ヶ月先位の手術が安全ということです。万一、瘤が詰まったり破裂したら6時間でアウトらしいです。その場合は、バイパス手術も応急措置的に視野にいれてるそうです。スタンフォードB型解離で手術無しなのですが、診療プログラムには、スタンフォードA型・血栓閉塞型となっています。聞いたら、限りなくA型に近く、本来なら切るところをB型と併用することで乗り切ったそうです。非常に難しい判断だったが、成功ですとおっしゃってました。瘤さえ出来なければ、良かったんですけどねぇ。午前中は診療、午後は主治医の公開シンポジウムを拝聴し、社保庁がちかくにあるので、需給の相談にいってきました。たぶん普通に長生きはできないような気がするので、前倒し一括受給を暗に進められました。76歳以上生きると損したことになるのですが、それ以前に亡くなった場合は、一括受給のほうが特のようです。また身体障害者1~3級(年金型)に認定されれば、一括受給しなくても、ほほ満額状態で60歳から支給されるらしいのですが、心臓血管病での身障者認定は例がなく現状は難しいかな・・と主治医がいってました。100メートルの歩けず、生活に支障があるのは現実なのですが、大動脈解離という病気自体が、年間100万人当たり25人発症くらいの発生頻度なので・・・・。そんなんで今日は朝から晩まで出歩いてたので(車で)、さすがに腰から背中、首肩までかなり痛みがひどいです。風呂につかるとなぜか痛みが消えるんですが、ずっと入ってるわけにもいかんし・・・。ぼちぼちですね。  

(無題)

 投稿者:jun  投稿日:2007年10月 8日(月)21時36分40秒
返信・引用
  てつサン 痛み辛いですね。 なんとか早く痛みから解放してあげたい・・・祈り☆ 辛い時に返事、有り難うございます。 頑張り過ぎないで・・・又、てつサンの痛みが少し良くなったら書き込みさせて頂きますね。思い通りに生きたいナ・・てつサン アリガトウ  

↓junさん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年10月 8日(月)15時12分48秒
返信・引用
  こんにちは、junさん。てつです。そうですか、辛い状況のなかにいるんですね。私も初めて長期?入院して、三途の川一歩手前も見てきたり、妻がどんな気持ちで闘病していたか少しはわかったような気がします。結局、何かに「生かされてる」んですよね。そのことに感謝する気持ちを持てたことだけでも素晴らしいことだと思います。現実はいろいろとあるけれど、たった一度の人生・・・、思い通りに生きていけたらいいのでは。生きてるということは、それだけで誰かを傷つけ自分も傷つきなにかを得ていくことのような気がします。またいつでも立ち寄ってください。痛いの我慢して多めに歩いたら、今日はいつもよりちょっとだけたくさん歩けました(^^♪一歩一歩確実にね(^_-)-☆  

こんばんは

 投稿者:jun  投稿日:2007年10月 7日(日)23時04分13秒
返信・引用
  はじめまして(^^)junです。てつサン 無事退院されて良かった。てつサンのHPを2ヶ月前に発見! てつサンが奥様の闘病記を読んで涙で・・・きっと・・イヤ絶対に奥様は、てつサンに感謝して旅立たれたと思います。実は私も子宮癌で経過観察中で~す なので奥様の気持ちが少しは分かるかな?? 私も病気になってから日々周り人に感謝・感謝の思いで過ごして居るから。 私は独身なので(いい歳だけど)、てつサンの奥様が羨ましいな~ 今でも忘れないで思われて  きっとてつサンは奥様が守って下さるから絶対に大丈夫ですよ。頑張って! てつサンが元気になったら、相談したい事が有るので、早く元気になって下さいネ。

http://opa

 

退院しました

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年10月 7日(日)21時07分23秒
返信・引用
  本日、娑婆に戻ってまいりました。加藤茶氏とは違い、手術はせず血圧を徹底管理する方向でなんとか生還しました。腎臓1個だめにしたのと、右足付け根に動脈瘤が残ってしまいましたが、人より血管が太かったのがよい方向へ作用したようです。親に感謝ですねと言われました。結構広範囲にわたって大動脈が解離してたのですが、太さに救われたようです。主治医も今までの患者さんの中で一番迷いましたよ・・・とおっしゃってました。今後は血圧を管理して、右足の状態がどうなるか経過観察といったところです。今は、血流が悪いので、ウルトラマンじゃないけど。3分歩くとバッテリー切れ(^_^;)です。でもそれなりに生活環境を工夫足ながら変えていくようですね、昔のようにはもう戻らないでしょう、人工血管にする以外は・・・。これも運命、与えられた人生と割り切るしかないですね。声も出るようになってきたし、少しずつ頑張ってみます。  

(無題)

 投稿者:てつ@入院中  投稿日:2007年10月 1日(月)21時08分19秒
返信・引用
  ご心配かけてます。腎臓のダメージがちょっと心配ですが順調に回復しています  

てつさんへ

 投稿者:樹里亜  投稿日:2007年 9月26日(水)06時27分23秒
返信・引用
  随分と回復されたようで 良かったですね~♪
来月上旬には退院予定とか 頑張って下さいね。

昨夜熊本の義父が亡くなりました。
91歳なので覚悟はできていましたが 急なことでやはりショックです。
暫くばたばたで こちらも見れませんが・・・
1日も早く元気に退院できる事を 祈っています。

次男さん いつもお父様の経過報告ありがとうございます。
 

経過について

 投稿者:管理人次男メール  投稿日:2007年 9月23日(日)20時19分47秒
返信・引用
  掲示板およびメールでメッセージを頂いた皆様、ありがとうございます。
皆様からの応援のおかげもあって父の容態は日に日に良くなっており、
当初は痛みで喋ることすら大変だったものの
現在では食事も採り始め、自力での歩行も可能となるほどまでに回復しました。

このままの調子で回復していけば、10月上旬には退院できる見込みとなりますので、
それまでは引き続き私のほうから経過をご報告差し上げます。


以上、よろしくお願いします。
 

てつさんへ

 投稿者:樹里亜  投稿日:2007年 9月19日(水)06時51分14秒
返信・引用
  大動脈解離を検索し 大変な病気と知り驚いています。
絶対安静との事・・・でも息子さんがしっかりされてるから心強いですね。
この半年間凄く忙しいようでしたから ゆっくり休養して下さいませ!
1日も早い快復を 遠い福岡の空より 毎日お祈りしています。
 

(無題)

 投稿者:Sachi  投稿日:2007年 9月18日(火)16時31分14秒
返信・引用
  てつさん、入院中とのこと心痛な思いです。絶対安静とのこと、ゆっくり休んでくださいね
。今まで温かい言葉をいっぱいいただきました。その度にこんな私でも強くなれ、優しくもなれました。ありがとうございました。また元気になってここに戻ってくださいね。無理しないでくださいね。心待ちにしていますから!
 

管理人近況について

 投稿者:管理人次男メール  投稿日:2007年 9月17日(月)22時34分12秒
返信・引用
  当サイトにお越しの皆様、はじめまして。
管理人・てつの次男です。

管理人である父は、現在闘病のため入院中となっており
サイトの閲覧・更新が不可能となるため、
代理という形で私から皆様へご報告となりますことご了承下さい。

9/15早朝、父は突然の胸の痛みを訴え
長男からの119番通報により救急車で病院へ運ばれました。

診断によると、病名は「大動脈解離」というもので
3層構造を作っている大動脈のうち真ん中の層の膜(中膜)に血流が入り込んでしまい、
層構造が別々に剥がれていく(解離してしまう)という病気です。

この病気にはAとBの2種類のタイプがあり、
Aタイプの場合は緊急手術を伴う危険なもの、
Bタイプの場合は手術は行わず血圧を下げながら治療を行うものとなりますが
父の場合は幸いにもBタイプであり、絶対安静の元で療養中となっております。

ただし、このまま順調に回復してもしばらくは入院生活が続くため
当サイトはしばらく管理人からの更新は停止致しますことご承知下さい。


なお、皆様からの励ましのメッセージ等頂ければ
私や長男から父へ伝えさせて頂きますので当掲示板までお願いします。

また、プライバシーに関わる内容や質問であれば
下記の私のメールアドレスまでご連絡頂ければ幸甚です。
(すぐには返信できないこと多々あるかと思いますが、ご容赦願います)

メールアドレス:m2syrinx@hotmail.com


以上、よろしくお願いします。
 

↓樹里亜さん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 9月 2日(日)21時11分18秒
返信・引用
  今日は少し暑かったけど、すっかり秋の気配の数日でしたね。残暑も短いとかで、一気に木枯らしの季節に駆け下りていくのでしょうか?(まだ早いか!)
写真は、先代のアィーンです。散歩するときいつもあの目をして見上げながら歩いてました。アィーンJrも同じ癖があってシムラーはこっちを見向きもせずまっすぐ歩いてくのに、アィーンは横にいても先を歩いてても絶えず、こちらをチラチラ見上げながら歩きます。だから時々先を行くシムのお知りに激突してます(^_^;)
夏の疲れ?がでたか体調はイマイチですが、なんとかやっとります。樹里亜さんも、ご家族ともども(ニャンコも含めて)ご健康でお過ごしください。
 

アィーンちゃん かわゆい!

 投稿者:樹里亜  投稿日:2007年 9月 2日(日)20時25分28秒
返信・引用
  何時見ても癒し系で可愛いですね~!
てつさんの事を お父さんか恋人とでも思っているのかな?!
先代アィーンの分まで 長生きしてほしいですね。

少しご無沙汰でしたが お元気ですか~?
私は少し心配事があり凹んでいましたが・・・。
やっと復活・・・健康が一番と再認識させられた今日この頃でございます。

9月に入りこちら福岡も少し涼しくなり この3~4日はクーラーなしで過せるくらいで
ホッとしています。
でもこの夏は猛暑でしたから そろそろ夏の疲れが出ないと良いけれど・・・。
てつさんもお仕事に家事に忙しい毎日でしょうが くれぐれも御身大切にご自愛くださいね。
 

先代アィーン

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月27日(月)22時58分58秒
返信・引用
  七夕の日に天界へ旅立った先代アィーンの死から、もう3年が経ちます。先天性パグ脳炎が突然発症しわずか3日で逝ってしまいました。3歳を超えれば発症の恐れはなくなるそうですが、あと一歩というところでの不運でした。朝、散歩してたら、いつもなら先頭きってぐいぐい歩くのに、まるでおばあさんがあるくようにとぼとぼ歩くのに気付き抱き上げると、ぐったりしてました。部屋に戻っても、同じ場所をぐるぐるまわったり、名前呼んでも違う方向へいったり・・・。病院では「風邪では・・」といわれ処方薬のんでいましたが、一向によくならず、とうとう倒れてしまいました。あとは四股の痙攣が続き、はじめて「脳炎」宣告されました。そして3日目、病院からの電話で駆けつけてみるとすでに亡くなっていました。入院中もゲージの中で横になって走るような仕草で痙攣を続け意識が戻ることはありませんでした。といっても、一度は外に出て散歩するくらい元気に「なったそうですが、その姿を目にすることはできませんでした。相棒のシムラーとは仲が良くて、よく二人で寄り添って寝てました。だから、連れ合いを失ったシムラーの悲しみも大きく、毛が抜け白髪になり、痩せて行くばかりでした。そんなんで、思い切って2代目アイーンJr.が来たわけです。この子は、大きさもシムの半分もなく、とても一緒にはできないので、私の部屋にいつもいました。そしていまもいます。もう自分が犬ではなく人間とおもってるんでしょうね、きっと。シムとは遊びますが、すぐに飽きてわたしのほうに来てしまいます。ちょっと育て方を誤ったかも・・・。2代目も
、先代の歳を越えました。なんとか、生涯を全うして欲しいものです。「虹の橋」のたもとで、私が天国へ渡る日を待ってる、先代アイーンやラーズのためにも。ふと昔を思い出した夏の日でした。
 

親父のこと

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月23日(木)23時20分4秒
返信・引用
  今日8月23日は、親父の14回目の命日です。思えばずいぶん暑いときに葬式だった。西日を浴びながら喪主の挨拶をやったのを思い出します。一人っ子なもんで、全部一人で切り盛りし、しかも初めてのことでてんやわんやだった・・・。父は脳梗塞で倒れ、数ヶ月の入院で回復したが、半身に重篤な麻痺が残りリハビリの毎日だった。腹違いの長男として、追われるように田舎を母と後にし、東京に出てトラックの運転手をしながら家計を支えた。父の汗にまみれた背中に背負われ銭湯へ通ったのをおぼろげに覚えてる。父の唯一の楽しみだったらしい。そんなに一人っ子である俺を寵愛したのに、俺は反発した、ずっと・・・。完全に父を理解できたのは亡くなってからかもしれない。腰の曲がった母が介護し、二人で家の周りの坂道をビッコひきながらいそいそと二人で歩いていたのが近所でも有名だった。そして、二度目の梗塞。夜病院へ駆けつると、もう父の意識はなかった・・・。そしてそのまま眠り続け半年、静かに息をひきとった・・・。母はベッドの下に布団を持ち込みずっと看病していた。父が逝ってしまった後、数ヵ月後に母が脳梗塞で倒れた・・・。母のことはまた後に書くが、彼女は意識はあったものの意識とは呼ぶべくもなく幼児返りしてしまった。父の一生とはなんだったのだろう。満足できたのだろうか・・・。父の残した想いは俺に引き継がれ、そして今度は、もうじき結婚する次男に引き継がれていく。こうして命のバトンがリレーされ人生の舞台が回っていくのだろう。言葉で表すでもなく、黙って生き様を背中を見せることで、生きることの意味が伝わってくれればそれでいい。泣きながら生まれて、最期は笑って死ねるのが理想だが、現実はなかなか難しいようだ。父さん、親不孝を許してくれとはいわないが、今なら父さんがどれほど愛してくれたか少しは理解できるような気がする・・・・。14回目の命日に、せめて言わせてもらうよ。「育ててくれてありがとう、父さんの想いは、もう子供たちに受け渡すよ、そして彼らも、いつの日か俺が妻が、どんなに彼らを心配し案じ愛したかわかってくれる日が来るだろう、そのとき、その想いを彼らの子供たちにリレーしていってくれれば、それで充分だと思う。親なんてそんなことしかできない。父さん、天国では楽にしているかい?母さんと仲良くやってるかい?10月には母さんの13回忌だから、一緒にやろうね・・・。
・・・
 

(無題)

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月14日(火)22時28分12秒
返信・引用
  こんばんわ、ぶーちゃんさん。
川口ですか、昔たしか「キューポラの町」という映画の舞台になった町ですよね。盆地だから暑さもひとしお厳しいのでは・・・。そんな中で、ゆっくりお母様とすごせましたか?生活ぶりを安心してみてもらえましたか?明日は送り火なんですね。哀しいけど、また一年、頑張る姿をみてもらいましょう!うちは、17日が休みなんで、その日に送ります。
 

天国からのプレゼント

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月14日(火)22時18分59秒
返信・引用
  酷暑の中のお盆、連休がとてたので2日間帰ってきた先人たちと過ごしました。食事は、同じ物を供えて、仏間で一緒に食べた2日間。思わぬプレゼントがありました。以前オヤジの遺品の中から、ちょっとシブい銀の指輪が出てきました。さすがに金の印鑑付き指輪はちょっと・・・って感じでしたが、銀の指輪は、ちょっぴりキッチュでよくしてたのですが、いつのまにか5月ごろから無くなってしまってました。いくら探してもみつからなく諦めていたのですが、今日、パソコンの裏を掃除してたら、ポツンとでてきました!見るに見かねてオヤジがさしだしてくれたんでしょうね、きっと。ご先祖様は大切に・・・という教訓化もね(^^♪
 

久しぶりの帰宅

 投稿者:ぶーちゃん  投稿日:2007年 8月14日(火)19時28分15秒
返信・引用
  てつさん、こんばんわ。ぶーちゃんです。
こちらは埼玉の川口市で神奈川と同様毎日が暑い最中です。月曜午前中お墓参りで母を迎えに行ってきました。母もこの暑さじゃ、むりもないですよね(きっと)。
うちは15日夕方に送ります。
でも寺院は家から隣り町なんでいつでも会いにいけますから。
でもやっぱ家にいるのと居ないのではなにかちがいますよね。
少しでも母はくつろいで行ってくれるといいのだけれど。(たぶん、食生活とか心配していたから気が休まらないのでは?)(TT)
 

↓ぶーちゃんさん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月11日(土)22時35分44秒
返信・引用
  こんばんわ、てつです。
暑い、暑い、こちら神奈川は今年最高の暑さだったようです。新暦のお盆なんですね、うちもそうです。来るときはできるだけ早くキュウリの馬に乗って、帰りはなるべくゆっくりとナスの牛車になぞらえてあるそうですね。お盆の間は、食事は小分けにして同じものを食べてます。ただお箸は、人間界のものではなく、麻姑もできたものを折って使うそうですけど、ちゃんと妻のお箸も茶碗もそのままですから、いつもどおりにお膳を囲んでます。ぶーちゃんもどうかお母様とつのるお話をたくさんしてくださいね♪
 

新盆

 投稿者:ぶーちゃん  投稿日:2007年 8月10日(金)17時07分11秒
返信・引用
  時が経つのは本当に早いものですね。忙しさで書き込み出来なくごめんなさい。
いつもまぶたの裏には母の笑顔や姿が映っています。
お互い男家族みたいですね。食事の事まで気を使っていただきありがとう。
本当、この夏は暑いですね。
来週はお盆ですね。週明けには母を迎えに行ってきます。
本人が亡くなる一週間前に決めて寺院で、いい墓地を選んで逝ったから、この数週間(49日、7月7日以降)は安らかに眠れたのではないでしょうか。
未だ悲しみの日々です。
 

(無題)

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月 4日(土)22時50分26秒
返信・引用
  やっと夏らしい暑さがやってきたよ。今日はほとんどドライが入ってた。外へ出ると湿気でむっとする。今夜は厚木の花火大会。窓から良く見えるよ、相変わらず。並んでビール片手に眺めたもんだね。今は、見る気も起きないよ。むしろ、花火の音が聞えないようガードしちゃってる・・・。想いでは残酷な形でふいに心に忍び込んでくるからね。相変わらず、熟睡できない。いやな夢ばかり・・・。昨日は耳を切り落とされたよ。その前は崖から落とされた・・・。相手はみなしてる奴ばかり、朝起きるとぐったりだよ。まぁ昼間には記憶が薄れてくるからまだましだけどね。こういう状況が逝ってしまってからずっとだもんね。精神がどこかで壊れてきちゃってるんじゃないかって思うくらい。こんど心療内科へ相談にいってみようかな。こんな状態がずっと続くとほんといつか壊れちゃいそうだもんね。  

↓ぶーちゃんさん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月 4日(土)22時43分13秒
返信・引用
  こんばんわ、てつです。
暑い中、お墓参りご苦労様でした。不思議なもんで、深閑とした墓地に立つと心も真っ白になるような気がしますよね。ここだけは、いつまでも時間がとまったままのような・・・。私も、亡くなった直後はよくお墓へいって話し込んでました。やがて月命日だけになり、今はその月命日さえも忙しさにかまけて無沙汰してしまいます。でも、そうやって時の流れの中で、記憶がモノクローム化していき日常の流れの中に戻っていくのが、遺され生きていく者にとって、ある意味自然のような気もします、この頃は。亡き人を想う心は昔のままですから・・・。男ばかりの所帯はまるで合宿所ですよね。うちでも女の子が一人でもいたらなぁ・・・なんて思います。でも、食事だけはバランス考えてキチンととってくださいね。特に暑い夏の季節は。
 

(無題)

 投稿者:ぶーちゃん  投稿日:2007年 8月 4日(土)19時38分20秒
返信・引用
  てつさんへ
ぶーちゃんです。今日も母の墓参りへ行ってきました。まだ墓石も立てたばかりなので汚れもひどくはありませんでした。でもここ二三日暑い日照りが続いているので母が暑がって?居たかも知れません。まだ、まわりに母のことを話すと涙ぐんでしまいますね。昨日私も千の風になってをみていました。感情移入して泣いて見てました。家は男三人でくらしています。娘でも居ればと思う時があります。結局食事は弁当やインスタント系で済ませてしまいます。母の存在が忘れられません。
 

↓家族へのラブレター

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月 4日(土)18時37分38秒
返信・引用
  やはり皆さん、kazeさんの実写の写真に深く心を動かされてるようですね。私はお会いしたのは、2005年の早春の頃だったと思います。仕事で東京出張になったから、逢いましょう!ってメールが来ました。「空港で私を見つけてね」なんていうお茶目な面もありました。(写真しか見てないのにね(^_^;))あの時のうすい桜色の2ピース姿が、TV画面の中でダブりました。「こんなにガリちゃんになっちゃった」ってスカートのウエスト回して苦笑してました。ドラマ向けにだいぶ脚色されていたようですが、ご家族の愛にテーマをすえたので当然といえるでしょうね。お子さんたちの将来を最後まで気にかけていたんですね・・・。きっとkazeさんの生き様をしっかりと見ていた彼らは、大丈夫立派に成長していくことでしょう。
ふぅちゃん、1日遅れのお誕生日、おめでとう!今年は、花束もプレゼントもないけど49本分の薔薇を天国に届けます。やすらかに・・・。
 

家族へのラブレター

 投稿者:樹里亜  投稿日:2007年 8月 4日(土)06時09分37秒
返信・引用
  素的な仲良しのご家族でしたね。
3人のお子様の成長と優しいご主人の愛情が 余命3ヶ月を2年半という月日に変えたのかもしれませんね?!
乳癌術後5年半も経ち最近涙腺の固い私も最初から涙なしでは観れず 最後のふぅちゃんとご家族の写真が出るや否や号泣してしまいました。
家族の絆や命の尊さを考えさせられ ふぅちゃんの闘病にも改めて感動しました。
1日遅れだけれど
「天国のふぅちゃん 49歳のお誕生日おめでとう!」
 

ごめんなさい

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月 4日(土)00時33分0秒
返信・引用
  メリーさんごめんなさい!1周忌じゃない!つい先月なんですね。歳とると思い込み?が激しくて、7月20日でもう1周忌すんだものと思い込んでしまったんですね。ほんと、すいません。(^_^;)四十九日もまだですよね。お骨もまだお傍にあるのでは・・・。カルシウムに過ぎないんだけど、なんか愛着ありますよね。傍にまだいてくれるような気がして。ネットでカロートという銀の涙型のペンダント購入して、お骨をくだいて中に入れてぶらさげてます。結婚指輪も一緒にしてるんで時々胸元で触れ合う音がして和みます。他人が見ると中身をしってドンビキするかも(^_^;)  

ぶーちゃんへ

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月 4日(土)00時19分59秒
返信・引用
  はじめましてですよね。最近物忘れが激しくて(^_^;)なんせ1分前のことも忘れてしまう超アルツ症候群?5月20日になくなられたんですか・・・。まだ昨日のようでしょうね。ひょっと夢だったら、どんなにかいいかと思うことも多いかと思います。今年は新盆ですね。8月だとこれからだけどもう済ませましたか?・新盆は辛かったです。お墓へお迎えにいってそこで火をつけて消さないように家にもってきて蝋燭につけるのだと・・・、信じちゃってやりましたよ。毎食二人分つくり4日間一緒に食べました。最後の送り火の哀しかったこと。生きてる人間の感傷に過ぎないのかもしれないけど、それだけ傷痕がまだ生々しいということの証でしょうね。ぶーちゃんとこも、まだまだ辛い日々の最中ではないでしょうか。
このサイトが、これから起こる将来の事実を映すものとして見られているかと思うと、とても複雑な思いがします。ほんとはこんなサイトが無くなる時代がくれば理想なんですけどね。日々自分を戒める意味で残してます。こらえてください(^_^;)また、いつでも来てくださいね。数多くの方が、このサイトを訪れ触れ合い、日常世界に戻っていかれました。それでいいんだと思います。通りすがりにたちよって、なにかを感じて歩いていくことができれば、存在理由もあるかと思ってます。(^_-)-☆
 

メリーさん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月 4日(土)00時07分23秒
返信・引用
  はしょっちゃいましたぁ(^_^;)うちは大手術でしたが、ほんといま思うと、同じ辛い思いするなら、メスなど入れないほうがよかったのではと思うことがあります。KAZEさんはご家族に支えられご家族を愛し、最後まで生き抜いた。ドラマではでませんでしたが、最後まで社会人として生きたいと、動けなくなるまで仕事してたんですよ。東京出張でお会いしたのもその頃でした。やせちゃってスカートが回っちゃうのよって苦笑しながらウエストいじってました・・・。そして彼女に勇気付けられた数え切れない人たちが掲示板にいました。KAZEさんも掲示板の仲間を頼ってました。人はひとりでは生きられない。愛し、愛され人生を全うしていくんでし¥しょうね・・・。あっ、ちなみに私は珈琲党です(^_^;)  

↓ももさん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月 3日(金)23時58分41秒
返信・引用
  途中からしか見れませんでしたが(録画してますけどぉ(^_^;)、お姉さん、双子なんですよね。義理の息子と最愛の娘を相次いで奪われてしまったご両親の悲しみは幾何かと思うと涙が溢れます。逆縁ですもんね。そう、生きているんじゃなくて、生かされてるんでしょうね。電池の寿命が尽きるまで・・・。人を愛し、人のために血の涙を流しながら、人のために生きていく・・・。そして人間らしく幕をおろして逝く。そんな人生だったら生きる甲斐のある人生なのでは。ももさん、しっかりと見つけてくださいね(^^♪  

すごく頑張ったんです

 投稿者:メリーさんの執事  投稿日:2007年 8月 3日(金)23時54分13秒
返信・引用
  早速のお返事ありがとうございます。
つい最近の7月20日に旅立ちました。Drも驚く体力で頑張ってくれました。
手術はできませんでしたが、むしろ良かったのかもしれません(夫の場合は)

たった今「千の風になって」を見終わりました。Vを録っといて良かったと思います。
途中辛くなって見れないかもと思い録画しましたが、ちゃんと最後まで見ましたよ。
ただ涙で画面が揺れて殆んどぼやけていましたが!
また寄せて下さいね。辛くなったらふら~っとお茶持参で行きますから!!
 

(無題)

 投稿者:ぶーちゃん  投稿日:2007年 8月 3日(金)23時36分3秒
返信・引用
  はじめまして。家も2007年5月20日にスキルス胃ガンで母を亡くしました。亡くなる前からはこのサイトを拝見してました。初めは、このサイトを見て母の結末がこうなってしまうと思うと鳥肌が立ってしまいましたが、たまに、拝見すると、悲しみがあふれてきます。同じスキルスガンで亡くされた方がこんなにもいるなんて本当にスキルスガンが憎いですね。本当にスキルスってどうしようもないらしいですね。今でも悔しいですよね。  

↓メリーさんの執事さん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 8月 3日(金)23時14分58秒
返信・引用
  はじめましてです。100粒の涙では拝見していました。あのコーナーは、個人のものでもないし、自由に伝えたいことを書いてくださって結構なんですよ。1周忌が済んで間もない頃ですね。きっと、あっという間に過ぎてしまったのではないでしょうか・・・。そしてこんなに涙が流れるものかとびっくりするくらい泣いたのではないでしょうか。泣いていいんですよ、心の底から涙を流し、亡き人を想ってあげてください。人は、元気な姿観うせないと浮かばれないよ・・・とかいうけど、喪失の重さを知らない人の言葉です。こんなに辛く哀しいことはないのではないでしょうか。でも、時は日薬・・・。きっと少しずつ柔らかで優しい涙に変わっていくはずです。あなたの愛した人が必ずそうしてくれるはずです。待ちましょう、無理せず今は時の流れに身をまかせながら・・・漂ってみるのもいいのではないでしょうか?うちは、7年目を迎えました。昨日は月命日、いまでも、ふいに音楽や匂いに触発され、あの頃がフラッシュバックします。行きつ戻りつ日々歩いていきましょうよ。季節の折々に故人のメッセージに耳を傾けながら・・・ね。
また、いつでも立ち寄ってください、お茶も差し上げられませんが、お待ちしてま~す(^^♪
 

千の風になって

 投稿者:もも  投稿日:2007年 8月 3日(金)23時00分23秒
返信・引用
  てつさん、こんばんは。
「千の風になって」観ました。
涙がとまりませんでした。。
改めて、「生きる」とは何なのか考えさせられました。
人は何の為に生まれ、生きるのか。。
なかなか答えはでなくても一日一日精一杯後悔のない様に生きるしかないのですよね。
人は「生きている」のではなく、「生かされている」のかもしれないですね。
何かうまくまとまらなくて、すみません。。
 

はじめましてですが!?

 投稿者:メリーさんの執事  投稿日:2007年 8月 3日(金)11時33分22秒
返信・引用
  先日勝手に「100粒の涙」に書き込みさせていただきました。
はじめまして・・なのですが、昨年4月夫のスキルス胃癌が分った時、とにかく情報をと、
pcを開き最初に読ませていただいたのが「生と死の時間」でした。
毎日のように読んで、これからの夫がどのようになるのか必死に頭に叩き込み、
心の準備をしようとしてましたが・・・・
ですから、はじめましてと言う気がしません。てつさんとは昔からの知り合いのような
感覚でいつも読ませていただきました。
7月20日に旅立った夫が私に残してくれた数々の思い出や言葉を胸に、しっかりと
夫の人生を汚さぬ様生きて行こうと思います。
てつさん、先輩としていろいろご指導くださいね。消失感いっぱいで何も手につかない
毎日ですが、泣いてても必ず立ち上がる日は来ますよね?
 

てつさん

 投稿者:もも  投稿日:2007年 7月18日(水)23時17分51秒
返信・引用
  確かに癌は怖いです。
癌に限らず人間死ぬかもしれないという状況になった時、自分だったら何を思うのか。。
周りの人への感謝を忘れず楽しい人生だったと言える人生を送りたいです。
健康にももっと気を付けていきたいと思います。
てつさんもお仕事大変でしょうが、お身体ご自愛下さいね。
 

ももさん↓

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 7月18日(水)22時09分33秒
返信・引用
  ご無沙汰です、ももさん。去年の夏に書き込みいただいてから、もうじき一年ですね。番組、仕事が遅くなるので、録画かけていきました。こういう番組はリアルタイムで観たいのですが・・・。この掲示板にも、乳がんを患った方が元気に書き込みされてますし、私の職場にも乳がん宣告された方もいます。怖い病気ですよね。誰もが癌の遺伝子を持っているのだから、発病するかどうかは、やはり運命なのでしょうか・・・。だとすれば、ももさんがおっしゃるように、与えられた一日一日を精一杯生きる・・・ことしかないのでしょうね。これがまた、凡人の私のようなものには難しいのですが・・・・。哀しい別れを経験したものにしかわからない「何か」があると思います。「明日が来るということは奇跡」という言葉を、いつも胸に秘めて大切な時間を過ごしたいですね。  

こんばんは

 投稿者:もも  投稿日:2007年 7月18日(水)21時16分35秒
返信・引用
  ご無沙汰しております。二回目の書き込みです。
先程迄24歳の女性が乳がんを患い、でも必死に生きた時間をテレビで
放送していたのを拝見して、胸がつまる思いでした。
「明日が来るという事は奇跡」彼女の残したその言葉は本当に胸にひびきました。
私は今までちょっとした事で落ち込んだり、不平不満を言っていた気がしますが、
明日が来るだけで幸せなんだって事忘れかけていた気がします。
両親が居て、兄弟もいて、旦那もいて、友達がいる。。
それだけで幸せなんだって事を。。
長さは人それぞれかもしれませんが、限られた人生、後悔ない様に
なるべく前を向いて歩いていこうと決心致しました。
皆様頑張りましょう。
 

↓樹里亜さん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 7月 7日(土)22時25分44秒
返信・引用
  九州は豪雨のようですが福岡のほうは大丈夫ですか?もう半年過ぎちゃったんですねぇ。8月の頃を聞くと、もう残り4ヶ月あまり・・・あっという間に時が流れていくようです。そんな時の流れの中から抜け出してしまった「ふぅちゃん」。8ヶ月も経ったんですね。ご主人のその間の様々な思いと、ふうちゃんの後押しがあって、ドラマ化が実現したんでしょうね。黒木さんも九州人、きっとふぅちゃんの熱い想いを見事に演じてくれると期待してます。HPはないでしょ。あれは番外編、それでいいんだと思います。YUTAKAさんのところにも連絡がいっていて、喜んでました。こんど神奈川の方へ仕事でくるので、時間が合えば会おうと話しました。みんな不思議な縁でつながってるんですね・・・。歩いていけば、様々な障害にぶつかります。文句を言い合って、思いをぶつけ合えるってことは幸せなことかもしれません。悔いながら生きていくしかない人生を歩いていくよりはね。島倉のお千代さんが「人生いろいろ」って歌ってましたよね。よくカラオケでしいちゃんが歌ってました。きっと自分の気持ちを歌ってたんでしょうね・・・。  

千の風ドラマスペシャル

 投稿者:樹里亜  投稿日:2007年 7月 7日(土)21時00分40秒
返信・引用
  てつさん こんばんは~!
ご無沙汰でしたが 元気にお仕事&会の活動&主夫と頑張っておられるご様子 何よりです。
フジTVのHPみました。
KAZEさんの闘病がドラマになるなんて・・・
それも4000通余りの中から選ばれたなんて ご主人の想いがかなって凄い事ですね。
最近少し落ち込み気味の樹里亜でしたが・・・
ふぅちゃんの前向きな生き方を思い出し 生かされている事に改めて感謝しないといけないと悟りました(汗)
8月3日の放送を楽しみにしています。
Hさんやてつさんの掲示板の事も描かれていると・・・嬉しいですね!(笑)
 

KAZEさんの闘病がドラマに

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 7月 5日(木)22時14分41秒
返信・引用
  フジテレビ「千の風ドラマスペシャル」で8月3日に放送されます。ご主人から連絡をいただきました。主演は黒木瞳さん。まさしくうってつけだと思います。約4000通あまりの中から、新井満氏の強い推薦もあって満場一致で決定したそうです。この掲示板でも、KAZEさんに励まされ、またKAZEさんの生き方に心を打たれたかたも沢山いらっしゃると思います。8月3日はKAZEさんの誕生日。みんなでKAZEさんのメッセージを心で受け止めてみませんか・・・。  

柳 美里「魂」

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 7月 5日(木)00時07分47秒
返信・引用
  せんだってこの掲示板でちっと触れた、作家「柳美里」さんの「魂」うぃ読んでます。彼女はなんか気がつよそうであまり好きなタイプではなかったので関心外だったのですが、東由多加氏が同世代ということもあって、二人の男と女の関係を超えた「人間としてのつながり」に共感を覚えます。でも、かれらの間にはかって「愛」があったと思う。お互い傷つき別れ・・・、今彼女が男に去られ一人で子供を産み育てると決心したときに、余命いくばくもない東氏が協力を申し出、共同生活が始まる。壮絶な抗がん剤とうの闘い・・・。効いたことのある抗がん剤がごろごろ出てくる。ちょうどしいちゃんの頃と同じ時期みたいだね。驚いたのは、ロキソニンが癌の痛みのため処方されてるってこと。あれを俺は頭痛で何年も毎日飲み続け、薬中毒になっちゃったんだもんね。いまもひどいときは手放せません。今日も一錠飲みました。効くんだよね、劇的に。それはされおき、まだ半分しか読んでません。もう東氏の治療法はないった状況のようです。そのうちまた書きます。  

家族が消える日

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 6月25日(月)22時42分26秒
返信・引用
  2025年に東京の全体の独居率が45%以上になるという予測がでました。そんな中で、東京、新大久保の「百人町4丁目」では、65歳以上の高齢者が5割を超え、その多くが一人暮らしをしているという。両親を看取り、妻を送り、子供にを頼りにしていたら、まったく寄り付かなくなった・・・とか。彼らは「いざという時の頼りは隣人」という。まさに18年後の日本の現実を予言しているかの感がします。一方で、もっとも心安らぐ時間は?という夫婦へのアンケートに、男性は「土曜の夜9時」といい、女性は「月曜の朝10時」と答える。寡夫の私には関係ありませんが、なんとなく醒めた笑いが浮かんでしまいます。結婚とかそういう形にとらわれず、人と人が互いに寄り添って生きられる形態がこれからもっと増えてくるのでは・・・。グループホームなどもその一例なのかも・・・。やはりもう若い頃の情熱はないわけだし、いちから夫婦の関係を築いていくのは気の遠くなる作業かな。子供たちは、彼らの人生があり、また世話になろうとも思わない。やっぱり、ころっとPPK(ぴんぴんころり)と逝くしかないんですかねえ・・・、独り身は。(苦笑)  

皇帝ダリア

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 6月16日(土)00時44分33秒
返信・引用
  昨年花を咲かせた「皇帝ダリア」。挿し木をしたところ10本ほど芽を出しました。どなたか嫁にもらってもらえませんでしょうか。捨てるには忍びないし・・・。ただ、南キャンのしずちゃんも真っ青の大女!3~5メートルくらいになるんで、場所が必要です。咲くのは11月ごろから霜が降りるまで、薄ピンクの大柄な花を咲かせます。ほかに目立った花がない季節なんで注目じは確実。詳しい生育法を載せたHPがありますので、ご覧ください。大変な力作URLです。http://rrbiyori2.s14.xrea.com/dahlia/dahlia1.html
 

手前みそ

 投稿者:てつ  投稿日:2007年 6月16日(土)00時08分24秒
返信・引用
  2001年に妻が急逝し、失意のどん底で遮二無二作り上げたHP。テクニックもへったくれもありませんでした。ただ記録に残したいという一念で無謀にもチャレンジした結果のホームページです。何度か、もう少しデザイン的に洗練されたHPの改装しようかとも思いましたが、あの時の思いを忘れないためにも、そのままで7年目を迎えました。なかなか更新もできず、さぼってばかりですが13万件を超えました。そして、なんと検索エンジンの御三家、
yahoojapan、google、msnをはじめ、goo、infoseekなどでも「生と死の時間」で検索すると
すべてトップで表示されるという快挙?!を達成しました。これがいいのか悪いのかわかりません。このようなサイトが消えてなくなって、はじめて人類が癌に打ち勝ったといえる時がくるのでしょう。妻もその日を夢見ていました。が、現実は厳しくまだまだのようです。いつまで続くのか自分でもわかりませんが、なんとか維持していくつもりです。気が向いたときに、ぜひお立ち寄りください。つまらない事でも、胸のうちを吐き出していってくださいね。画像も使えますので近況報告などもお待ちしてます!ただし、荒らしは遠慮します。荒らされる方は、鏡を目の前において、自分がどんな顔してキーボード打ってるか見てみてください。
 

加藤登紀子 NHK人生の歩き方より

 投稿者:てつ  投稿日:2007年 6月 7日(木)23時49分8秒
返信・引用
  「お腹がこんなに大きくなって、それなのにあなたが恋しくてたまらない時があります」
                           1972年 5月31日 登紀子
「貴方の歌は時々聞きます。こんなとこで聞くと違った思いを抱くものです」
                           同年7月15日   敏夫
「あなたの静かな言葉に、私は今、安らぎ安堵してしまいそうです。全てなるようになるがいい。ナイーブにそして敏感に」
                           同年11月14日   登紀子

ひとつの船に二人の船頭がむりであryならば、二つの船に二人の船頭で乗り出せばいい。

藤本・加藤夫妻の人生哲学ですね。

「あなたの気配」
ひとりぽっちは辛くはないのに 泣けてきたりして
疲れすぎたのだと思ってみたりして ひとりでお茶を飲んでみる
窓から夕陽が差し込んで あなたのにおいに気がつくのです

あなたがいなくても時は過ぎてゆき 季節はめぐり二度目の夏が来た
お日様は輝き 空は晴れて 美しい季節になりました
白い砂浜に寝転んで あなたの気配に気がつくのです

気がつかないうちに時は過ぎてゆき もう逢えない友達も幾人かいる
振り返ることなど考えもせず 取り戻すことも忘れていた
あなたがいなくてもいいはずなのに
あなたのにおいが欲しいのです
ララララ・・・・・♪

六月いっぱいNHK教育テレビで水曜の10時半から放映されます。
革命に命を掛けた男と彼を愛した女の二人の人生の歩き方・・・・。
思うところがたくさんあるのでは・・・・。

藤本氏は、全学連委員長として先頭にたったときも、決して自分の身を守るヘルメットは
かぶらなかったそうです・・・。
私も彼らからやや遅れた全共闘世代です。親友が試験の最中に突入した機動隊に血だらけにされながら引きずり出されるとき「お前達、このままでいいのか、一生後悔するぞ・・・」と涙をこぼしながら叫んでいっ姿は今でも時々夢に現れます。

人生はめいっぱい働くものではない。片手で仕事をこなし、もう一本の手は、自由や夢をつかむためにあるものだ・・・。羨ましい生き方です。
 

↓ひまわりさん

 投稿者:てつメール  投稿日:2007年 6月 1日(金)21時50分43秒
返信・引用
  お久しぶりです。お元気ですか・・・。私のところも七回忌済ませました。月日は流れましたが思いは止まったままです。これは、きっとずっと続くのでしょうね、程度の違いこそあれ・・・、それが「喪失」ということなのかもしれません。うちは、私は一人っ子で親戚付き合いもなく、いまだに妻の実家とは交流を持っています。しかし、やはり以前のように、何度も訪れるという機会は減りました。こちらの心のうちと、実家とはいえ、やはり現実の生活の中で暮らしてるわけですから、日々思いが流れていくのは当然のことと思います。でもそのギャップになぜか微妙な違和感を感じつつ遠ざかっていくように思えます。実家の義母は、「私が弱い身体に産んでしまったばかりに、あなたに寂しい想いをさせてしまってごめんなさいね」と言ってくれました。私は始めて病院を訪れた両親に土下座して「申しわけありません、俺がついていながら、こんなことになってしまって・・」と詫びました。双方の思いはしっかりとお互いの心に刻まれたと思います。今は、実家の近くのアパートに次男が住んでいます。母は次男の細い指を見るたびに「ほんと、しいちゃんの指にそっくりねぇ」と懐かしがってくれます。我が娘を思い出すことも、月日の流れと一緒に変わってくるのでは・・・。娘さんが愛した男性です、ひまわりさんは。「俺がついていながら・・・」という気持ちは、ひまわりさんが口にしなくても、しっかりとご両親は受け止めてくれてると思いますよ。どうか、愛した奥様のご両親をいたわってあげてください。天国で奥様も願ってるのではないでしょうか・・。変なこだわりは捨てて・・・。  

(無題)

 投稿者:ひまわり  投稿日:2007年 6月 1日(金)21時28分22秒
返信・引用
  こんばんは てつさん元気ですか?
久々来てみました 2004年頃ここに書き込みさせていただいた者です
あの時は、お世話になりました
でも、相変わらず前向きになれなくてずっと引きずってます
話違いますが、てつさんの奥様の両親様とは今も交流あるでしょうか?
私には、子供も居なかったものでここ1年位疎遠になってます
この前の母の日 プレゼントまで買ってあったんですがどうしても行く気がしなくて行けませんでした 行って俺の顔見れば嫁の両親、亡くなった娘の事思い出すでしょうしあんたが付いていながら何で娘が死ななきゃいけなかったのかとか・・
そう思うと、中々嫁の実家には行く気が起きないのです
このまま疎遠にしても良いのか自問自答の日々です
又、近じか父の日ですね どうしようか悩み所です
 

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